カテゴリ:旅行・登山 > 城巡り
宇和島城
小田原城の桜
岩櫃城を歩く
岩櫃城は群馬県吾妻郡東吾妻町にある山城で、真田丸で有名な真田氏が同方面を支配する際の拠点とした城郭です。戦国時代の後期に織田・徳川連合軍の攻撃を受けて撤退する武田勝頼を真田昌幸が岩櫃城に迎え入れようとしました。しかし武田勝頼は岩櫃城ではなく岩殿山城への撤退を選び、小山田信茂の裏切りのために滅びることになります。
岩櫃城は山城で、登山口(登城口)は山の裏側にある平沢登山口になります。車を駐車場に停めて、しばらく歩くと観光案内所があり、そこで「続百名城」のスタンプを押します。
岩櫃城の本丸は、登城口から約15分歩いた先にあります。本丸趾までの登山路は2つあり、1つは稜線を歩く尾根通り。もう1つは谷間を歩く沢通りです。今回、まず尾根通りを進みました。
緩やかな登山路を歩いていくと、途中でいくつも空堀や土塁趾が見えてきます。かなり規模が大きく、これらの施設を見ると岩櫃城が確かに堅固な城郭であったと思われます。
岩櫃城本丸跡には本丸趾の碑と説明文があるだけで、もちろん天守閣等はありません。しかし山の中に残る大規模な堀や土塁は、この岩櫃城が戦国時代を代表する山城の1つであったことを物語ります。
帰りは沢通りを歩いて駐車場に戻りました。所要時間は約30分。戦国時代の山城についてその一端を知ることができた山旅でした。
臼杵城
臼杵城は戦国時代に大友氏によって建てられた城郭です。最盛期には天守の他、21個もの櫓があった壮大な城郭であったそうな。大友氏にとって重要な城郭であり、一時は大友氏の政庁ともなったとのことです。
大友氏が秀吉によって改易された後は、紆余曲折があったものの、関ヶ原の戦いの後には稲葉一鉄の嫡男である稲葉貞道が入部。以後は稲葉氏の本拠となり、江戸末期まで続いたそうです。
JR日豊本線の臼杵駅から徒歩10分ぐらい。路地に看板が出ているので、それに従って中に入ると鳥居が沢山並んでいる所があり、そこの階段を上ったところが城跡になっています。
中津城みたいな復元天守がないので、一見するとガランとしています。天守趾があり、その先は展望台になっていて、臼杵港が見えています。このあたりは良港が多く、漁船等の他、大型船が何隻も停泊しています。
天守趾の近くに空堀があって、そこで曲輪が2分割されていて、向こうが二の丸になっています。面積的には二の丸跡の方が広く、野球ができそうなぐらい大きなグランドがありました。そこに大友時代の大砲や日露戦争関係の物品が飾ってったのが面白かったです。
二の丸の向こう側が大手門になっています。大手門側から臼杵城を見ると、臼杵城のイメージが一変します。大手門を中心に櫓や石垣、石壁や白壁などが見事に整備されていて、見ている方を圧倒します。しかも見る角度や距離のよって見え方が様変わりするので、色々なシーンで写真を撮りたくなります。
城の外には臼杵市観光交流プラザがあり、臼杵市出身の偉人紹介や臼杵市の観光案内をしていました。ここは入場無料で冷房も効いているので、お勧めです。
お奨め度★★★★