Great War at Sea(GWaS)シリーズは、第1次世界大戦前後における海上戦闘を作戦レベルで再現するシミュレーションゲームシリーズだ。ユニットスケールは原則として1隻1ユニット、ただし駆逐艦以下の小型艦は複数艦で1ユニットを構成する。マップは作戦マップと戦術マップに分かれ、作戦マップは段差型スクエア(TAHGCの"Bismark"と同じ)で、1スクエアは実際の36海里に相当する。戦術マップはヘクス方式で1Hex=8000yd。1Turnは実際の4時間に相当する。
"1904-1905"(以下、本作)は、GWaSシリーズの1作品で、テーマは日露戦争。同戦争における日本とロシア両海軍の対決を8本の戦闘シナリオ、11本の作戦シナリオ、2本のキャンペーンシナリオで再現する。今回はその中から作戦シナリオの1本であるOperationnarl Scenario#9 "Breakout and Pursuit"をプレイした。これは1904年8月10日の黄海海戦を作戦レベルで再現するシナリオである。 前回紹介した"Battle of the Yellow Sea"のソロプレイ では、黄海海戦の戦術的側面だけを再現するシナリオであったが、本作はもっと広い範囲を扱っている。すなわち旅順口からのロシア艦隊の出撃とそれに対する日本艦隊の迎撃。ウラジオストックから出撃するウラジオ艦隊とそれを捕捉撃滅せんとする日本側第2艦隊。これら日本海と黄海を舞台とした一大海上作戦を全10日間で再現するものだ。
前回 の紹介では漏れていた本作の作戦部分について説明する。GWaSシリーズ共通のシーケンスは以下の通りだ。
1.天候フェイズ
2.命令フェイズ
3.艦隊移動フェイズ
4.接触チェック
5.戦術フェイズ
上記のシーケンスから予想できる通り、基本システムは非常にシンプルだ。しかも海戦ゲームにも関わらずダミーもブラインド方式もない。艦隊は(一部例外を除いて)全てマップ上に置かれ、プレイヤーからその位置が判明している(ただし艦隊番号はわからないように裏返しに置かれる)。肝は艦隊任務と命令ルールで、輸送や対地砲撃等の任務を実施するためにはそれぞれ「輸送」「砲撃」と任務を与える必要がある。任務の種類によって何turn先まで命令をプロットしなければならないかが決められており、例えば「輸送」「砲撃」といった任務の場合は出港時に全ルートをプロットしておかなければならない。一番柔軟性の高い「襲撃」「迎撃」といった任務の場合も2Turn先までプロットしておく必要がある。しかも航空機は未だ発展途上である20世紀初頭の海戦では、航空機による偵察にも多くを期待できない。従って両軍とも手探りでお互いの動きを探るような展開になる。移動途中に彼我の艦隊が同一スクエアを占めた場合に戦闘が発生し、戦術マップを使った戦術戦闘になる。
という訳で次に今回プレイする「黄海海戦」シナリオについて考察する。本シナリオの勝利条件は敵艦船の撃沈・撃破によるもの、商船襲撃によるもの、そして本シナリオ固有のものとしてロシア第1太平洋艦隊のウラジオストクへの突破がある。最後の条件は、旅順口に初期配置されているロシア艦のうちウラジオストクまで回航できた艦船は、沈没時と同等のVPをロシア側が受領する。従って旅順艦隊が突破に成功すれば、ロシア側が勝利を獲得できる。ただし突破に失敗してもロシア側がVPを失うことはないので、突破する姿勢を示しつつ日本艦隊を牽制する手もある。その間にウラジオ艦隊が日本船団を攻撃してVPを獲得するのが狙いだ。ちなみに旅順とウラジオストクとの海上距離は41スクエア。ゲームの長さは60Turnで艦船は原則1Turnに1スクエアしか移動できない。従って旅順艦隊は遅くても20Turnまでには出航しなければならない。逆に言えば20Turnまでに旅順艦隊が出港しなかった場合、日本艦隊は旅順港封鎖を解除し、全力でウラジオ艦隊撃滅に向かっても良い。
今回、私は日本軍を担当することになった。日本軍としては旅順艦隊のウラジオストクへの突破を阻止しつつ、ウラジオ艦隊による日本船団への襲撃阻止を画策することになる。そこで日本艦隊は東郷提督率いる第1艦隊(戦艦4、装甲巡洋艦4、その他)を旅順方面を哨戒させて旅順艦隊の出撃に備えつつ、上村提督(*1)率いる第2艦隊(装甲巡洋艦4、防護巡洋艦5)を朝鮮半島に待機させてウラジオ艦隊の出撃に備える。さらに上村艦隊から兵力の半数を割いて津軽海峡方面へ移動させ、太平洋で通商破壊を図るであろうロシアウラジオ艦隊の退路を断つ位置に進出せしめる。
1904年8月10日
旅順口を警戒する東郷艦隊は、防護巡洋艦3隻を分離させて旅順口を包囲する態勢とする。そして主力の戦艦部隊は旅順口の南方60海里に布陣し、旅順艦隊の出撃に備える。巡洋艦「高砂」が勇敢にも旅順口の入口まで出撃。港口にてロシア艦隊と小競り合いをしつつ南方へ撤退する。それを追うロシア駆逐艦隊は日本側の敷設した機雷原に踏み込み、駆逐艦1隻が触雷沈没する。
夜になって俄かに旅順口が慌ただしくなり、ロシア艦隊が相次いで出港したとの報が入った。俄然緊張する日本艦隊。旅順口港南方を警戒中の「高砂」がその艦首を旅順口に向けた刹那、追撃してきたロシア駆逐艦と不意遭遇戦になった。複数の駆逐艦による追撃を受けた「高砂」は勇敢に戦い、駆逐艦2隻を撃沈した。しかしロシア駆逐艦の放った魚雷1本以上が「高砂」に命中。火薬庫に火が回った「高砂」は大火焔を上げながら旅順口外にその姿を没した。
1904年8月11日
ロシア艦隊出撃を報を受けて日本艦隊は哨戒網を広げつつロシア艦隊の南下に合わせて南下していく。威海衛沖でロシア側小艦隊と遭遇した東郷麾下の日本主力艦隊は猛然と追撃戦を実施し、3隻のロシア砲艦を悉く撃沈した。しかしその過程で日本の戦艦「敷島」が魚雷1発を受けたのは不覚であり、「敷島」の被害が軽微だったのは全くの僥倖であった。1904年8月12日
旅順口を出撃したロシア艦隊は朝鮮半島西岸沖に向けて前進していく。それを包囲する日本艦隊は、ロシア艦隊の視認距離外を付かず離れずで追っていく。また対馬海峡を警戒中の上村提督麾下の第2艦隊分遣隊(装甲巡洋艦2、防護巡洋艦2)が対馬の基地を出港。黄海に向けて針路を取る。午後に入り、朝鮮半島南部群山沖まで後退してきた東郷提督麾下の主力艦隊は、ロシア水雷艇8隻と不意遭遇戦を演じた。この戦いで砲力の優越を見せつけた東郷艦隊がロシア艦隊を一方的に殲滅し、二度目の勝利を得た。
(つづく)