テーマはフランス革命前後のフランス国内における政治的闘争で、プレイヤーは2~5名。プレイヤーはそれぞれフランス革命を裏で操る黒幕となり、ロベスピエールやナポレオンといったフランス革命期に活躍した人物を駆使して勝利を目指します。
今回「フランス革命1789」のコンポーネントを紹介する動画を作成してみました。
(ちなみに、先日実際にプレイしてみましたが、目茶苦茶面白かったです)
(ちなみに、先日実際にプレイしてみましたが、目茶苦茶面白かったです)
ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。




さあこれから、という状況で突然ゲーム終了。トルコが勢力を広げて勝利ラインである25VPを達成したからだ。とはいっても朝10時過ぎから始めたゲームは、気が付けばいつの間にか午後7時を回っていて、「もうお腹一杯」というのが正直な所。このゲーム、フルTurnをプレイすると9Turnになるが、実際9Turnプレイすることは稀であるとのことだった。
初プレイで敗因を語るのも何だが、強いてあげるならば勝負を仕掛けるのが遅すぎたことだろうか。プロテスタントの場合、最初の4~5Turn頃までが勝負だろう。この時点であればカトリック側司祭の能力も数もプロテスタントに及ばない。それが第6Turnになると、カトリック最強の論客イグナチオ・デ・ロヨラが登場し、プロテスタント側ではルターが死亡したりカルヴァンが追放されたりして相対的にカトリック側が有利になってくる。さらにシュマルカルデン同盟によってプロテスタントも軍事的な活動が必要になると、今度はハプスブルク(本文中は神聖ローマ帝国と表現)との軍事的衝突にも対応する必要が出てくる。そういった意味では、プロテスタントは電撃的に勝利を得るのが最良ではないだろうか。
さらに根源的な敗因を求めるとすれば、勝利のためのプランを持たなかったことと外交関係を使いこなせなかったことだろう。まず勝利のためのプランとしては、本ゲームの勝利条件は、いずれの陣営も25VP以上を獲得することである。また勝利得点を達成した時点でゲーム終了となる。勝利得点はオープンなので、勝利に近づいたプレイヤーは他のプレイヤーから攻撃を受けて足を引っ張られることになる。勝つためには他のプレイヤーの妨害を見越した上で、それを凌ぐ形でVPを獲得していく必要がある。ただ漫然とプレイしていても勝てないようになっているのだ。不倶戴天と書いたが、実の所、プロテスタントとローマ法王は意外な所で協調できる場合がある。それは論争だ。お互いに論争合戦を仕掛けて「火炙り」や「破門」を出すことだ。これによってお互いVPを稼げるので、勝利ラインに近づくことができる。やや苦しいたとえ話だが、プロテスタントによる宗教改革によってカトリック側で危機意識が高まり、そのことがカトリック側の自浄作用を引き起こした、と言えるのかもしれない。
Here I Standについては、これまで色々と噂話は聞いていたが、ゲームのテーマが私にとってのストライクゾーンからやや(大幅に?)外れていることやマルチゲームは守備範囲外という意識もあって今までは手を出しかねていた。またルールの多さや対戦相手にゲーム慣れしたプレイヤーが多いという点もネックになったように思う。


次第に勢力を拡大しつつあるプロテスタント勢力に対し、神聖ローマ皇帝カール5世はカトリック教会の要求を呑む形で教会財産の返還をプロテスタント諸侯に求めた。これに対して財産を奪われることを恐れたプロテスタント諸侯は、反皇帝同盟を結成した。これがシュマルカルデン同盟と呼ばれるもので、これによってプロテスタント勢力は、これまでのような信仰のみの活動ではなく、軍事面や経済面での活動にも巻き込まれることになっていく。
シュマルカルデン同盟によって2人の軍事指揮官ザクセン公ヨハン・フリードリッヒ(John Frederick 0-6)とフリップ・ヘッセ(Phillip of Hesse 0-6)を得たプロテスタント勢力は、選帝候スペースを守るべく急遽傭兵隊を拡張した。
シュマルカルデン側(プロテスタント)はザクセン公ヨハン・フリードリッヒ公に6戦力の傭兵隊を授けてマインツ救援に向かわせるが、マインツ付近に布陣したフェルディナンドの巧みな奇襲攻撃を受けて無残な敗北を喫してしまう(マインツの戦い)。野戦軍を退けた神聖ローマ皇帝軍はマインツを陥落させた。フリップ・ヘッセも神聖ローマ帝国の捕虜となってしまう。
まず英語圏での新約聖書の翻訳を進める。これに活躍したのがウィリアム・ティンダルとマイルス・カバーダール(Coverdale[2])の2人で、このTurnに新約聖書の翻訳が完了した。そのためにプロテスタントはイングランド島全域を席巻し、同地におけるカトリック勢力をほぼ駆逐した。先のTurn、ロンドンに登場したプロテスタント陣営3人目のパフォーマー、トマス・クランマー(Cranmer[3])の影響も大きかった。
欧州大陸は、ラテン語圏でのプロテスタントの布教活動が始まった。先のTurn、プロテスタント陣営第4のパフォーマーとして、スイスのジュネーブにジャン・カルヴァン(Calvin[4])が登場する。またピエル・ロベール・オリベッタ (Olivetan[1])は新約聖書のラテン語翻訳を進めていき、このTurnに完成に漕ぎ着けた。そのために東フランス全域ではプロテスタント旋風が吹き荒れたが、同方面ではカトリック側も論文攻勢を展開。両陣営で一進一退の攻防が続く。


カトリックによる宗教攻勢がなおも続く。スペインに生まれ、軍人生活の後に宗教家を道を進んだイグナチオ・デ・ロヨラ(Loyola[4])は、パリ大学の学友らとイエズス会を設立した。イエズス会といえば、日本に布教にやってきたフランシスコ・ザビエルが有名だが、残念ながらザビエルはゲームに登場しない。
神聖ローマ帝国による軍事面でのプロテスタントに対する圧力も再び強まってきた。フェルディナンド(1-6)らが率いる神聖ローマ帝国軍10戦力がプロテスタント側城塞都市ケルン(Colonge)に対して包囲攻撃を仕掛けてきた。年単位に渡る激しい攻城戦の末、ケルンは陥落。プロテスタントはまたもや拠点を失った。
プロテスタントの反撃はラテン語圏で実施された。ピエル・オリベッタらが聖書のラテン語全訳版を完成させ、東フランス一帯でプロテスタントの布教に成功した。さらにカルヴァンは「キリスト教綱要」と呼ばれる著作を完成させた。これは1500ページにも及ぶ大著で、この著作によりプロテスタントが理論的に完成されたといわれている。「キリスト教綱要」が発表されたことによりフランスにおけるプロテスタント勢力は一気にパリ近郊まで広がってきた。


本ゲームは、主役であるマルティン・ルター(Luther[4],[]内の数値は宗教家としての能力、以下同じ)が「95箇条の論題」を教会に対して提出したことから開始される。ルターはドイツ語圏北東部のヴィッテンベルグ(Wittenbetg)を活動拠点とし、プロテスタント勢力拡大を図ったが、布教ダイスに恵まれず今一つ伸び悩む。結局プロテスタントは、ブランデンブルク(Brandenburg)、ルンベック(Lubeck)、マグデブルク(Magdeburg)に信仰を広めたにとどまった。その直後に開催されたウォルムス公会議における論戦に勝利したプロテスタント陣営は、さらにエアファルト(Erfurt)までその信仰を広めた。
その後プロテスタント陣営は新約聖書のドイツ語版翻訳に勤しみ、Turn終了までに完成に漕ぎ着けた。新約聖書の翻訳完成によってプロテスタント勢力はさらに信仰を広げ、ハンブルグ(Hamburg)やライプチヒ(Leipzig)等もプロテスタント勢力が及ぶに至った。さらにCarkstat[1]が宗教論文を乱発。その過激な論調は一方でプロテスタント信者を増やしたが、その一方でドイツ語圏内に不穏な動きを引き起こすことにもなった。
しかしカトリック側も黙って見ていただけではなかった。ルター友人であったヨハン・エック(Eck[3])を使って「ライプチヒの宗教論争」でプロテスタント陣営に揺さぶりをかけてきた。エックは能力3ながら、論戦になるとダイスを1個余分に使えるという論客である。強敵出現に対し、プロテスタント陣営は「私はここに立つ(Here I Stand)」と叫んでルター自らが論戦に応じた。しかしこの宗教論争でルターはエックに大敗。危うく「火炙り」になることは免れたルターであったが、その敗北はプロテスタント陣営に大きな打撃となった。第1Turn終了時のプロテスタント勢力圏
宗教論争は攻撃側が能力+3個のダイスを振り、防御側が能力+1~2個のダイスを振る。お互い5,6の目が命中であり、命中数の比較して大きい方の勝ち。大きい方が差分だけ相手陣営の影響スペースを自分の影響下に変更できる。それに加えて差分が負けた側の論争能力を超えていると、負けた論客は「火炙り」又は「破門」となってゲームから除去される。今回はカトリック側がダイス7個、プロテスタント側がダイス6個を振り、命中数が4対1。ルターは「火炙り」こそ免れたものの、プロテスタント側スペース3箇所を失った。
Here I Standカードはプロテスタント陣営のホームカード(毎Turn固有に使えるカード)である。Here I Standカードが未使用の場合、プロテスタント陣営は論戦が起こった時に「私は立つ」と宣言してルターを論戦に投入できる(それ以外の場合はランダムに選択)。今回、カトリック側の論戦に対して「私は立つ」カードを使ってルターを立てたが、結果的にはこれは失敗だった。「火炙りの刑」になるリスクが(小さいとはいえ)存在していることももちろんだが、論戦の場合は防御に回るよりも攻撃に出たほうが有利になる。ルターのように能力に優れた論客は、敵のエース級と対決させるのではなく、雑魚狩りに使った方が効果的であった。

活動家ウルリッヒ・ツウィングリ(Zwingli[3])がスイスのチューリッヒに2人目のパフォーマーとして登場する。チューリッヒはスイスで初めてのプロテスタントの町になった。さらにツウィングリも含めて論客4名がプロテスタント陣営に加わった。計8名の論客を揃えたプロテスタント陣営は人数面でカトリックに対して優位に立った。
このTurn、プロテスタントは聖書の完全ドイツ語訳版を完成させた。さらにマルティン・ルターが「硬き砦」というイベントを使ってドイツ語圏でのプロテスタント普及を進める。このTurn、ミュンスター(Munster)、カッセル(Kassel)までプロテスタントの信者が広がり、スイスではチューリッヒ(Zurich)からバーセル(Basel)までプロテスタントの信者が広がってきた。第2Turn終了時のプロテスタント勢力圏

ウルリッヒ・ツウィングリとマルティン・ブセール(Bucer[2])が南ドイツ語圏で論文攻勢を実施。要域アウグスブルク(Augsburg)をプロテスタントの勢力下においた。これにより6箇所ある選帝候スペースの全てをプロテスタントの勢力圏とした。
2度に渡る論戦の敗北を受けて焦るカトリック陣営は、ライプチヒで公開討論会を開催し、プロテスタント陣営に対して反撃を試みる。この討論会でカトリック陣営はヨハン・エックを再び論壇に立ててきた。プロテスタント陣営はエース不在(ルターは先ほどの「私は立つ」カードによって使用済状態)の状況下でイングランド出身のウィリアム・ティンダル(Tyndale[2])とスイス出身のハインリッヒ・ブリンガー(Bullinger[2])の2人で討論会に挑んだ。負ければ火炙りの刑にも成りかねないという緊張感の中、ティンダルとブリンガーはカトリック側論客と互角の論戦を展開。カトリック陣営の理論攻勢を何とか切り抜けた。