もりつちの徒然なるままに

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奥州の北畠氏が伊勢地方に進出し、最初に拠点を築いたのが田丸城である。
以前に紹介した多気北畠氏城館 とほぼ同時期に城郭が築かれ、一時は奥州北畠氏による伊勢支配の根拠地ともなったという。

松阪市から東へ進み、玉城町という所に入ると、小高い丘が見えてくる、何やら文字が書いてあって怪しい感じだが、これこそが田丸城址になる。
JR参宮線の田丸駅近くにある玉城町町役場に車を停めると、目の前に田丸城の趾がある。今は敷地の半分近くに中学校(玉城中学校)が位置しているため、田丸城に登るためには、中学校を迂回していく必要がある。

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ぐるりと中学校を迂回すると、目の前に田丸城の天守閣跡がある。当時のモノと同じかどうかは知らないが、石垣が結構しっかりと残されている。

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一番高い所が天守趾になる。ハリボテのような天守閣があるが、これは恐らくライトアップするためだろう。天守趾は高台になっていて、伊勢平野一帯を見下ろすことができる。

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元来た道を降りていくと、C58型蒸気機関車が保存されている。かつて国鉄参宮線を走っていた機関車のうちの1台であろう。参宮線はその名の通り伊勢神宮への参詣路線で、その歴史は結構古い。今では一地方線に過ぎないが、戦前には皇室の伊勢神宮参詣などでも使う路線になるので、それなりに重視されていたのだろう。

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北畠氏とは、南北朝の騒乱の際、宮方について武家方を苦しめた北畠親房、顕家親子らの一族である。他には織田信長の次男北畠信雄も北畠氏になる。
多気北畠氏城館とは、北畠親房の次男、三男(北畠顕家の弟)が伊勢に拠点を築いた際、城郭として整備されたのが始まりという。

駐車場に車を停めると、目の間には北畠神社なるもがあり、そこがかつて多気北畠氏城館の中心があった場所になる。社務所で300円を支払うと、国の名勝に指定されている庭園に入ることができる。

城郭自体は北畠神社の裏手にある霧山に築かれた山城になっていて、土塁などが残されている他、北畠神社の近くには当時の石垣が残されているとのことであった。

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