時に元亀3年(1572年)10月。甲斐の雄、武田信玄は、上洛の途についた。立ちはだかるのは総勢7万の兵力を誇る織田・徳川連合軍。史実では、上洛戦の途中で武田信玄が病没したため、武田勢の撤退によって終了している。しかし「もし信玄が病に倒れなかったら?」。 「信玄上洛」 (以下、本作)は、そのifに挑んだ野心作である。
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13Turn(1月第1週)
14Turn(1月第2週)
年が変わった。武田勢は遠江から三河に侵攻する。さらに勢いは止まらず遂に尾張へ進入した。織田方は畿内戦線から明智光秀と滝川一益を急遽尾張に急派し、兵力の増強を図る。これにより尾張国内の織田・徳川連合軍は、徳川麾下の14ステップ(14,000人)と織田家臣団が18ステップ(18,000人)となり、合計32,000人。尾張・三河方面の武田勢は合計34ステップ(34,000人)で、両者はほぼ拮抗した。畿内では観音寺城を守る一向一揆勢を丹波長秀、羽柴秀吉の連合軍が攻め立てる。観音寺城の守将は一向一揆勢の下間頼廉(2-0-2★)。集中攻撃を受けて壊滅的な損害を被っていた。
15Turn(1月第3週)
16Turn(1月第4週)
下間頼廉が織田方の集中攻撃を受けて討ち取られた。一向一揆勢も残るは下間仲孝(2-0-2★)の率いる軍勢だけである。下間仲孝は単独で織田方に抗するのは不利と判断し、観音寺城に守備隊を残し、残りは北近江の浅井勢と合流すべく北上する。尾張・三河国境では、武田勢の主力と織田・徳川連合軍の機動戦が続いている。両軍とも兵力はほぼ互角なので、決め手を欠きつつ丁々発止の駆け引きが続いている。
17Turn(2月第1週)
18Turn(2月第2週)
和議が成立し浅井長政が反織田勢から脱落した。反織田勢で残っているのは、一向一揆勢と武田勢のみである。大勢は決した。下間仲孝率いる一向一揆勢は北近江の虎御前山付近で追い詰められ、四方から織田勢の集中攻撃を受けるに至っている。尾張に侵攻した武田勢は短期決戦を求めて岐阜に向けて進撃するが、決戦を急ぐ必要がない織田勢は適当にあしらいつつ、武田勢主力を東美濃で後方を遮断した。19Turn(2月第3週)
20Turn(2月第4週)
武田勢は最後の奇跡を求めて岐阜城下に向けて進撃する。織田・徳川連合軍は岐阜城の東方3里の位置に達した武田勢に対し、迎撃部隊を差し向けた。武田勢は28ステップ(28,000人)。対する織田・徳川連合軍は、徳川家康14ステップ(14,000人)、明智光秀12ステップ(12,000人)、柴田勝家10ステップ(10,000人)の計36,000人。さらに織田勢は鉄砲装備でも武田勢を上回っていた。兵力に劣る武田勢であったが、奮戦した。最初の2ラウンドは武田と織田・徳川軍はそれぞれ同数の損害で一歩も引かなかった。しかし第3ラウンドで織田・徳川方が僅かに戦闘結果で勝り、武田勢は総崩れとなった。この撤退の最中で大損害を受けた武田勢は。それでも東美濃の山中に向けて後退を続けたが、最後は岐阜から追ってきた徳川家康と明智光秀らの退路をふさがれ、哀れ、武田信玄。東美濃の山中であえない最期を遂げたのである。
感想
今回も織田・徳川方の勝利になったが、バランス上どちらが有利かは判然としない。特に一向一揆の補充力が巨大なので、織田方が簡単に勝てるという訳でもないと思う。一向一揆勢は連絡線が不要なので、盤上どこでも暴れまわることができる。それに対して織田方が一向一揆勢に対して攻勢を仕掛けるためには、最低打撃力を有する2個軍団以上は欲しい所だ。しかし織田・徳川連合軍が保有する機動打撃兵力は、織田が4個、徳川が1個の計5個に過ぎない。その中から2個を一向一揆勢のために割くのは如何にもキツイ。また武田本隊の決戦には最低2個軍団以上が必要になる。そう考えると、織田・徳川方もギリギリの線で戦っていることがわかる。
今回織田方で失敗したと思ったのは、京を早期に放棄したこと。7VP確保すれば浅井・朝倉が脱落する確率が最高になるので、その後は兵力節約のために京から撤退したが、これは少し早すぎた。一向一揆勢や武田の攻勢によって織田・徳川方の城が落ちると同陣営のVPが減るので、2つほど城が落ちると安全圏を割ってしまう。何よりも京との連絡線を保持しないと織田方にとってVPを獲得する手段がなくなってしまう。従って織田方にとって京との連絡線はギリギリまで粘った方が良かったかもしれない。
とはいえ、武田本隊が急進してくると、織田方としても決戦兵力を捻出するしかない。武田と少なくとも互角に戦うためには、9ユニット(1.5個軍団)程度の織田軍勢を徳川に加勢する必要がある。もう少し少ないユニット数(例えば1個軍団6ユニット)でも戦えなくはないが、勝率は下がってしまう。武田との決戦はゲームの勝敗に直結するので、織田方にとっては難しい判断が迫られる。
一方の武田勢は、主導権が織田方にあることを認識して「ライヘンバッハプラン」のような戦い方が有効と考える。織田方は、その気になれば武田軍主力を撃破し得る兵力を集中できる。ただし決戦を回避するだけの機動力が武田方にはある。従って武田方としては、織田方の兵力展開を見極めつつ、「押しては引き、引いては押す」戦略が有効と考える。
上にも書いたが、本作で勝敗に大きくかかわるのが織田・徳川連合軍と武田本隊との決戦である。この決戦はダイス勝負になるので、最後は運に頼ることになる。ただし勝敗の確率は状況によって変動させることができる。
まず兵力。言うまでもないが兵力が多いほうが有利である。これについては武田勢が一定以上の兵力を集結させることができないのに対し(一向一揆勢と合流することは可能)、織田・徳川連合軍は自由に兵力を融通できる。従って決戦場に展開可能な兵力で言えば、織田・徳川連合軍が主導権を握っている。ただし50戦力以上集めても実質的な意味がないので、武田勢も現有兵力である程度は対抗可能だ。
次に野戦能力。これは武田信玄と徳川家康がいずれも野戦修正3なので互角。ただし徳川家康が本拠地(浜松)との連絡線を断たれた状態で戦うことが多くなるので、やや不利になる。徳川家康の連絡線対策は、第4ステージ終了時に城に籠城させるのが有効と思われる。
最後に連絡線。連絡線を切られると士気値が-1される。先にも書いたが徳川家康が連絡線を切られているのでやや不利。一方武田勢は状況による。後方の城を押さえながら慎重に前進するとか、遠江などの武田領地に近い場所で決戦する分にはあまり心配する必要がないが、尾張、美濃に急進した場合、織田方の小部隊によって連絡線を遮断される危険がある。兵力不足で機動力の高い部隊を分派させ辛い武田方にとって、織田方の小兵力機動作戦はかなり鬱陶しいだろうと思う。
いずれにしても上記の状況を勘案し、自軍が有利な状態に持ち込んで、あとはダイスに全てを賭けるしかない。それで敗れれば運がなかったと思って諦めよう。また互角の状況や自身が不利な状況で決戦に挑むかどうかはプレイヤーの性格による。決戦は両者の合意の元で行うのが原則なので、プレイヤーの性格が出る場面だ。
いずれにしても「信玄上洛」は面白い。何か裏技があるのかもれないが、素直にプレイする分には両プレイヤー共楽しめる傑作ゲームだと思う。