もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

タグ:関東

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日帰り旅行の魅力は、何といっても手軽さと安さにある。宿泊費不要なので旅費は安上がりだし、予約も不要。思い立ったらすぐに出かけられるというのも良い。週末を完全に潰すこともなく、気持ちに余裕を持って旅ができるのも良い。行動半径が小さくなるのが難点だが、それでも早朝出発を心がければ、意外と遠くに行けたりする。

今回、「青春18切符」を使って関東、甲信越のミニトリップに出かけてみた

高崎~横川

自宅から始発の普通列車に乗ると、高崎に到着するのは最短で0745になる。高崎駅で名物の「峠の釜めし」を購入しようと思ったが、残念ながらまだ到着していないとのこと。「だるま弁当」でも悪くないのだが、今回はパス。横川まで我慢しよう。

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0802発の信越線横川行きに乗る。かつては長野方面へ向かう幹線であった信越本線だが、今や途中で大きく分断され、群馬県内では高崎~横川の29,7kmを残すのみとなってしまった。完全なローカル線と化した信越本線だが、横川までの車窓風景が意外と楽しい。遠方に見えていた妙義山が次第に近づいてきて、やがて線路のすぐ左に妙義山が聳える姿は正に絶景。険峻な岩場が織りなす険しい山容と、岩々を彩る新緑と花々。里に近い山でこれほど特異な景観を見せる山も珍しいのではないだろうか。

碓氷峠散策

横川には0836に到着。駅前の弁当屋もまだ閉まっていて、ここでも「峠の釜めし」はお預けである。
今日は碓氷峠を少し歩いてみようと思う。某YouTuberが徒歩で横川から軽井沢まで歩き通す動画を紹介していたが、そこまでは行かなくても、遊歩道が整備されている熊の平ぐらいまでは歩いてみたい。しかし駅前の案内坂で「熊の平まで6km」と書かれているの見て少し気持ちが揺らぐ。まあ「行ける所まで行ってみよう」という感じで歩きだす。

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「アプトの道」と呼ばれる遊歩道を歩く。山と比べれば話にならないぐらい緩い坂だが、それでも以前に怪我をした右足が痛い。我慢して歩く。左手に碓氷峠鉄道文化むらが見える。特急「あさま」等、かつて碓氷峠や高崎周辺を走っていた列車が展示されている。時間があれば立ち寄ってみたい。

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「アプトの道」という名前の由来は、かつて碓氷峠を登る際にアプト式のレールを用いたからとのこと。しばらく歩くと上信越道の長大な橋の下を通ってやがて丸山変電所跡につく。ここは碓氷峠を超える電気機関車へ電気を供給した施設とのこと。明治時代に造られたらしい。ちなみに碓氷峠は日本鉄道史の中でも極めて早い時期に電化された区間とこと。理由は急勾配である碓氷峠を超えるためには電気機関車の強力な推進力を必要としたことと、トンネルの多い碓氷峠越えで蒸気機関車による煤煙の害が極めて深刻であったことによる。

さらに1kmほど登った所に峠の湯という温泉施設がある。横川の距離は約2.7kmなので、熊の平まではほぼ中間ぐらいか。ここまでは林の中の道だったが、ここからトンネルが多くなり、本格的な山岳路線の景観を見せてくる。

さらに1kmほど登った所が碓氷湖。坂本ダムによって作られた人工湖である。そしてそこからまたいくつかトンネルが続き、トンネルを出た所が碓氷第3橋梁、通称「めがね橋」である。明治25年に完成した煉瓦造りのアーチ橋。橋の下から見上げると、その迫力に圧倒されそうになる。ちなみにメガネ橋の上からは、今では使われなくなった信越本線新線の橋梁も見えている。

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メガネ橋からさらにトンネルが続く。排煙口のある長いトンネルを抜けて、さらにトンネルをいくつか抜けた所に遊歩道の終点である熊の平である。1950年には大規模な土砂崩れが起こり、当時の国鉄職員とその家族計50名が犠牲になったという痛ましい災害も起こった場所である。かつては横軽線の途中にある数少ない平坦地ということで、上下行き違い用の駅/信号所が設けられていたとのこと。現在は碓氷峠遊歩道の終点となっている。

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熊の平を見学した後、帰路につく。往路の所要時間は2時間弱。帰りは緩やかな下り坂なので歩くペースが少し早い。メガネ橋、碓氷湖、峠の湯と、往路に通った場所を足早に過ぎていく。途中の丸山変電所では、登ってくるトロッコ列車を見た。また碓氷峠鉄道文化むらの手前には、碓氷峠の関所跡があったので、立ち寄ってみた。

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横川~軽井沢

横川駅に戻ってきたのは1150頃だった。予定していたバスの発車は15分後である。時間があれば鉄道文化むらに立ち寄ってみたかったが、残念ながら時間がない。1205発のJR関東バスに乗り、30分程で軽井沢駅に到着する。

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軽井沢駅前で食事を、と、思ったが。休日の昼間の軽井沢はやはり人が多い。しかも食事処はどこもかしこもやや高め。最初はどこかの店に入って食事しようと思ったが、行列が出来ているのを見て断念。喫茶店でコーヒーとケーキを食べて(これも高かった・・・)、駅に戻って「峠の釜めし」を買う。

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軽井沢~小諸

軽井沢発1340のしなの鉄道長野行きに乗る。車内で「峠の釜めし」を食べる。駅弁としてはやや高い(1,200円)が、食べてみるとやはり美味しい。具沢山の釜めしで、醤油味の御飯と具材との組み合わせがステキ。お新香も良いアクセントになっていて、食べていて飽きないように工夫されている。さすがは「キング・オブ・駅弁」である。

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小諸には1400頃に到着。駅にはしなの鉄道が誇る観光列車「ろくもん」が入線していた。これはラッキー。早速写真を撮ってみた。ちなみに「ろくもん」の車内では結婚式を行っているようで、乗客の半分ぐらいは結婚式の関係者らしかった。

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小諸~小淵沢

小諸発1433の小海線観光列車「High Rail」に乗る。この列車の魅力は、美しい景観を走る小海線を走破する観光列車という点につきる。2両編成でアテンダントさん2名が乗務していた。途中の中込、信濃川上、野辺山で長時間停車がある。特に信濃川上や野辺山といった駅での長時間停車は嬉しい。車窓から見る八ヶ岳は、かなり雪が解けていたものの、未だ山頂部分は白い雪に覆われていた。野辺山のキャベツ畑もまだ茶色で、緑一面になるのはもう少し先の事だろう。

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小淵沢~甲府

小淵沢には1657に到着した。小淵沢からは1723発の高尾行きに乗る。窓から南アルプスの山々と富士山が綺麗に見えている。このまま高尾まで乗り通すのもアリだが、久しぶりに甲府のほうとうが食べたくなったので、甲府で下車する。

甲府~

甲府市内でほうとうを食べた 後に駅に戻る。1940発の大月行きに乗る。大月からは中央特快に乗り換えて八王子へ出て、後はいつものルートで帰宅するだけだ。帰宅は0000頃。長い1日だった。

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3月第2週目の週末に茨城方面を観光してみました。
早朝6時上野発の常磐線水戸行きに乗り、水戸に着いたのが朝の8時頃でした。駅前からバスに乗り、まずは偕楽園に向かいます。

偕楽園

水戸駅からは2km程の場所にあり、徒歩だと30分ほどかかります。バスなら乗車10分、バス停から約10分なのでトータル20分なのですが、バスを待っている時間を考えると、水戸駅から歩いても、所要時間は大差ないかもしれません。

3月の偕楽園と言えば、梅が有名。早速中に入ってみました。なるほど、梅は綺麗で、白、薄紅、紅といった色とりどりの梅の花が咲き誇っていて、まさに「桃源郷もかくや」といった感があります。ただ、3月も半ばになると、梅もそろそろ散りはじめ、今回見た時も2~5割程度落ちていたように思いました。

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好文亭

偕楽園を一望できる小さな茶室で、名君の誉れ高い水戸藩第9代藩主徳川斉昭が自ら設計したとされています。ちなみに偕楽園についても水戸斉昭によって作られたそうです(誰でも知っているか・・・)。この好文亭に行くのは初めてでした。別料金200円かかりますが、200円分の価値は十分にあったと思います。茶室の雰囲気や2階部分から見下ろす偕楽園の景観など、見所が多い所でした。

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水戸アートタワー

水戸のシンボルタワー的な建物です。水戸駅と偕楽園のほぼ中間付近に位置しています。水戸芸術館という施設の一部になっており、奇抜な外観は、芸術性の現れかも・・・。
一応入場料は200円かかりますが、この種のタワーにしては安いと思います。ただ、展望室の窓が小さく、あまり景色を楽しめません。どちらかと言えば、タワー内部の景観と、独特のスタイルを楽しむ建物だと思います。

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弘道館と水戸城

弘道館は徳川斉昭が藩政改革の主要な柱として建設した教育施設だそう。当時としては日本最大規模を誇る学校で、文武両道が教えられていたそうです。
といいつつ、今回は弘道館自体はパス。弘道館周囲の梅林と、水戸城の城内を回ってみました。梅林の方は偕楽園と同じくやや終わりかけでした。水戸城内は面白いですね。天守閣等はありませんが、城内は今でもいくつかの学校があり、実際の教育施設として利用されています。また城内の道路は一般に解放されており、城の中を自動車が走り回っています。

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鹿島臨海鉄道

水戸を回った後、午後になって水戸から鹿島臨海鉄道に乗りました。鹿島臨海鉄道は、水戸と鹿島神宮を結ぶ第3セクター路線。途中には「ガールズ&パンツァー」で有名な大洗や鉾田といった町があります。ただ、臨海鉄道という割には海の見える区間が殆どなく、その点はやや寂しい感じです。

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最後に

とまあこんな感じの茨城の旅でした。他には「海の見える駅」として有名なひたち駅へ行ったり、水戸駅近くのラーメン屋で煮干しラーメンを食べたりもしました。そのあたりについては、以下の動画にまとめていますので、よろしければ、動画の方もご覧ください。




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「バリロン」と読みます。宇都宮駅ビル1Fにある餃子の店。餃子だけではなく、お酒や串焼きもやっています。餃子店とは思えないようなお洒落な雰囲気の店構えでした。

少し並んだ後、カウンター席に案内されました。
まずは甘めのレモンサワーと焼き餃子を注文。この焼き餃子が、うーん、美味しい。
具の中に入っている肉がしっかりしていて食べ応えがあり、それでいて噛むとしっかりとジューシーな味が広がる。これは本物の餃子だと思いました。

これは旨い。折角なので追加注文。レモンサワーをもう1杯。さらに海老水餃子を1皿追加します。これまた海老がプリプリしていて美味しい。肉に味がしっかりとついていて、何もつけないでも十分に美味しかったです。なるほど。地元で人気があるのも頷ける味です。

餃子といえば芭莉龍。伊達じゃありませんぜ。

お奨め度★★★★

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JR宇都宮駅から徒歩約20分。東武線の宇都宮駅近くにある焼きそば屋さんです。屋号も出ておらず、場末でひっそりと営業している感じ。話によると、60年も同じ場所で営業を続け、今は三代目が跡を継いでいるとのこと。
メニューは焼きそばの大中小のみ。具材はキャベツだけ。とにかくシンプル。因みに価格は、大中小それぞれ300円。250円、200円。とにかく安い。
味の方は、太目の麺にソースが良い感じで絡んでおり、シンプルな具材と相まって一気に食べられる感じ。ソースと麺のハーモニーが絶妙で、具材がシンプルな分だけ麺の美味しさが引き立っている。「ザ。焼きそば」という感じです。

単に値段が安いだけではなく、味も一流。宇都宮に訪れた際には是非立ち寄ってみたいお店です。

お奨め度★★★★

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前回までは --> こちら

一ノ関から仙台へ

旅行の最終日。今日は18切符を使って南に戻り、東京に戻る予定だ。一ノ関始発の岩沼行きに乗る予定だったが、ここでちょっとしたトラブル発生。青春18切符が残りゼロ回になって新しい1枚を買おうと思ったら、みどりの窓口が閉まっていて購入できなかった。何故か自動券売機でも購入できない。駅員に事情を説明し、入場証明を受け取って中に入る。

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列車は雪景色の中、1.5時間で仙台に到着した。

仙台から宇都宮へ

仙台駅で事情を話して18切符を購入しようとした所、衝撃の事実が判明。なんと青春18切符は年内のみ販売で年明けにはもう購入できないのだ。あちゃー。仕方がないから通常の乗車券を購入したが、単純計算で約6,000円の損になる。迂闊であった。

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まあ旅にトラブルはつきものさ、と、素直に乗車券を払って駅に戻る。ここから新幹線でワープする手もあるが、急ぐ旅でもないし、鈍行でノンビリ南下しよう。ただ、途中であちこち寄り道できなくなったのは少し残念である。
気を取り直して0745仙台発の福島行に乗る。仙台~福島間。普段なら特に見るべき景観もない所だが、今回はこのあたりもかなり雪が降っており、雪景色がとても綺麗であった。

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福島、郡山、新白河、黒磯で乗り換えて、宇都宮に着いたのは1315である。仙台からの所要時間は5.5時間。新幹線なら2時間とかからない。福島、郡山ではまだまだ雪が多かったが、白川付近では晴れ間も見えてきた。また宇都宮では殆ど雪がなかった。

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宇都宮から東京へ

宇都宮で昼食を取った後、 宇都宮発の東北線に乗る。宇都宮から先はグリーン車でプチ贅沢をする。本来なら「18切符のプチ贅沢」と行きたかった所だが、まあ仕方がない。宇都宮より先は特に語ることもなく、旅の余韻に浸るだけである。

上野には1630頃に到着。近くの飲み屋で少し旅も余韻に浸った後、帰路についた。これで1週間の旅は終わりである。

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(おわり)

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