もりつちの徒然なるままに

ウォーゲームの話や旅の話、山登り、B級グルメなどの記事を書いていきます。 自作のウォーゲームも取り扱っています。

タグ:青春18切符

230408a_群馬長野山梨


日帰り旅行の魅力は、何といっても手軽さと安さにある。宿泊費不要なので旅費は安上がりだし、予約も不要。思い立ったらすぐに出かけられるというのも良い。週末を完全に潰すこともなく、気持ちに余裕を持って旅ができるのも良い。行動半径が小さくなるのが難点だが、それでも早朝出発を心がければ、意外と遠くに行けたりする。

今回、「青春18切符」を使って関東、甲信越のミニトリップに出かけてみた

高崎~横川

自宅から始発の普通列車に乗ると、高崎に到着するのは最短で0745になる。高崎駅で名物の「峠の釜めし」を購入しようと思ったが、残念ながらまだ到着していないとのこと。「だるま弁当」でも悪くないのだが、今回はパス。横川まで我慢しよう。

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0802発の信越線横川行きに乗る。かつては長野方面へ向かう幹線であった信越本線だが、今や途中で大きく分断され、群馬県内では高崎~横川の29,7kmを残すのみとなってしまった。完全なローカル線と化した信越本線だが、横川までの車窓風景が意外と楽しい。遠方に見えていた妙義山が次第に近づいてきて、やがて線路のすぐ左に妙義山が聳える姿は正に絶景。険峻な岩場が織りなす険しい山容と、岩々を彩る新緑と花々。里に近い山でこれほど特異な景観を見せる山も珍しいのではないだろうか。

碓氷峠散策

横川には0836に到着。駅前の弁当屋もまだ閉まっていて、ここでも「峠の釜めし」はお預けである。
今日は碓氷峠を少し歩いてみようと思う。某YouTuberが徒歩で横川から軽井沢まで歩き通す動画を紹介していたが、そこまでは行かなくても、遊歩道が整備されている熊の平ぐらいまでは歩いてみたい。しかし駅前の案内坂で「熊の平まで6km」と書かれているの見て少し気持ちが揺らぐ。まあ「行ける所まで行ってみよう」という感じで歩きだす。

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「アプトの道」と呼ばれる遊歩道を歩く。山と比べれば話にならないぐらい緩い坂だが、それでも以前に怪我をした右足が痛い。我慢して歩く。左手に碓氷峠鉄道文化むらが見える。特急「あさま」等、かつて碓氷峠や高崎周辺を走っていた列車が展示されている。時間があれば立ち寄ってみたい。

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「アプトの道」という名前の由来は、かつて碓氷峠を登る際にアプト式のレールを用いたからとのこと。しばらく歩くと上信越道の長大な橋の下を通ってやがて丸山変電所跡につく。ここは碓氷峠を超える電気機関車へ電気を供給した施設とのこと。明治時代に造られたらしい。ちなみに碓氷峠は日本鉄道史の中でも極めて早い時期に電化された区間とこと。理由は急勾配である碓氷峠を超えるためには電気機関車の強力な推進力を必要としたことと、トンネルの多い碓氷峠越えで蒸気機関車による煤煙の害が極めて深刻であったことによる。

さらに1kmほど登った所に峠の湯という温泉施設がある。横川の距離は約2.7kmなので、熊の平まではほぼ中間ぐらいか。ここまでは林の中の道だったが、ここからトンネルが多くなり、本格的な山岳路線の景観を見せてくる。

さらに1kmほど登った所が碓氷湖。坂本ダムによって作られた人工湖である。そしてそこからまたいくつかトンネルが続き、トンネルを出た所が碓氷第3橋梁、通称「めがね橋」である。明治25年に完成した煉瓦造りのアーチ橋。橋の下から見上げると、その迫力に圧倒されそうになる。ちなみにメガネ橋の上からは、今では使われなくなった信越本線新線の橋梁も見えている。

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メガネ橋からさらにトンネルが続く。排煙口のある長いトンネルを抜けて、さらにトンネルをいくつか抜けた所に遊歩道の終点である熊の平である。1950年には大規模な土砂崩れが起こり、当時の国鉄職員とその家族計50名が犠牲になったという痛ましい災害も起こった場所である。かつては横軽線の途中にある数少ない平坦地ということで、上下行き違い用の駅/信号所が設けられていたとのこと。現在は碓氷峠遊歩道の終点となっている。

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熊の平を見学した後、帰路につく。往路の所要時間は2時間弱。帰りは緩やかな下り坂なので歩くペースが少し早い。メガネ橋、碓氷湖、峠の湯と、往路に通った場所を足早に過ぎていく。途中の丸山変電所では、登ってくるトロッコ列車を見た。また碓氷峠鉄道文化むらの手前には、碓氷峠の関所跡があったので、立ち寄ってみた。

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横川~軽井沢

横川駅に戻ってきたのは1150頃だった。予定していたバスの発車は15分後である。時間があれば鉄道文化むらに立ち寄ってみたかったが、残念ながら時間がない。1205発のJR関東バスに乗り、30分程で軽井沢駅に到着する。

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軽井沢駅前で食事を、と、思ったが。休日の昼間の軽井沢はやはり人が多い。しかも食事処はどこもかしこもやや高め。最初はどこかの店に入って食事しようと思ったが、行列が出来ているのを見て断念。喫茶店でコーヒーとケーキを食べて(これも高かった・・・)、駅に戻って「峠の釜めし」を買う。

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軽井沢~小諸

軽井沢発1340のしなの鉄道長野行きに乗る。車内で「峠の釜めし」を食べる。駅弁としてはやや高い(1,200円)が、食べてみるとやはり美味しい。具沢山の釜めしで、醤油味の御飯と具材との組み合わせがステキ。お新香も良いアクセントになっていて、食べていて飽きないように工夫されている。さすがは「キング・オブ・駅弁」である。

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小諸には1400頃に到着。駅にはしなの鉄道が誇る観光列車「ろくもん」が入線していた。これはラッキー。早速写真を撮ってみた。ちなみに「ろくもん」の車内では結婚式を行っているようで、乗客の半分ぐらいは結婚式の関係者らしかった。

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小諸~小淵沢

小諸発1433の小海線観光列車「High Rail」に乗る。この列車の魅力は、美しい景観を走る小海線を走破する観光列車という点につきる。2両編成でアテンダントさん2名が乗務していた。途中の中込、信濃川上、野辺山で長時間停車がある。特に信濃川上や野辺山といった駅での長時間停車は嬉しい。車窓から見る八ヶ岳は、かなり雪が解けていたものの、未だ山頂部分は白い雪に覆われていた。野辺山のキャベツ畑もまだ茶色で、緑一面になるのはもう少し先の事だろう。

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小淵沢~甲府

小淵沢には1657に到着した。小淵沢からは1723発の高尾行きに乗る。窓から南アルプスの山々と富士山が綺麗に見えている。このまま高尾まで乗り通すのもアリだが、久しぶりに甲府のほうとうが食べたくなったので、甲府で下車する。

甲府~

甲府市内でほうとうを食べた 後に駅に戻る。1940発の大月行きに乗る。大月からは中央特快に乗り換えて八王子へ出て、後はいつものルートで帰宅するだけだ。帰宅は0000頃。長い1日だった。

3月のとある週末に青春18切符を使って西に向かいました。青春18切符といえば、知る人ぞ知る、普通列車専用の乗車券です。1日乗り放題。途中下車自由。しかも5日分使えて値段は12,050円。1日あたり2,410円というコスパの良さが嬉しいところ。ちなみに一昔前はもっと安かったのですが・・・。

という訳でコスパの良さを生かして旅に出かけてみました。行き先は北陸福井県。新幹線の開業も近い今話題の地域です。鈍行旅だと半日以上かかる行程ですが、果たして・・・。

大船~沼津

定時に仕事を終えて最寄り駅の大船1721発の普通列車小田原行きに乗ります。大船駅でビールとパン、握り飯を購入。この先の強行軍に備えます。プチラッシュの車内。ロングシートでビールを飲むのはちょっとした背徳感があって宜しいですね。滅茶混みならとてもビールどころではないのですが・・・・。

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(上の写真は小田原駅、伊豆箱根鉄道大雄山線)
小田原と熱海で乗り換え。熱海からはJR東海となり、これまでの15両編成が一気に6両編成になります。熱海、三島、沼津といったあたりはそこそこ輸送需要があるので混みます。乗ったのは豊橋行きの普通列車なので、そのまま乗り続けて豊橋に行く手もあるのですが、訳あって途中の沼津で下車しました。

沼津~浜松

実は沼津~浜松間は「ホームライナー」という快速列車が走っているのです。この列車、余分に330円を支払う必要があるのですが、途中停車駅が少ない快速型の列車で、しかも使用している車両が特急型車両なので乗り心地が良い。リクライニングシートにゆったりしながら、貧乏旅行を楽しみます。

浜松~大垣

浜松からは大垣行きの区間快速に乗り換えます。区間快速というのは、途中の岡崎までは全駅停車で、岡崎から先は快速運転するというもの。JR東海が誇る新快速に比べると速度は落ちますが、この時間で大垣に辿り着くには最速の車両です。これもクロスシートなので乗り心地が良い。このままノンビリ大垣まで、と、思っていましたが・・・

浜松を出た後から猛烈な腹痛に襲われた。さっき飲んだビールの影響か、はたまた座った位置が送風機の風がモロに当たる所なので体が冷えたためか・・・。いずれにしても旅行途中の腹痛は最大にピンチ。この列車が終電、という訳ではないのですが、折角席を取ったので乗り換えはしたくない。幸いJR東海の普通列車にはトイレがついているので、トイレに近い場所に移動し、トイレを何往復かして腹痛に対応する。腹痛のため、本を読むとか、PCを叩くとか、他に何かしよう、という気分にはとてもなれない。
何とか我慢して大垣に着いたのは2320頃だった。取り敢えず無事到着に感謝しつつ、大垣駅前のホテルにチェックインする。

つづく



230104_18切符枕崎~稚内

日本の鉄道には聖地と呼ばれる場所がある。その1つが鹿児島県南西端に位置する枕崎駅。今一つが北海道最北端の稚内駅である。これらはJR線のそれぞれ南と北の終端点であり、全ての鉄路はこれらの駅と繋がっている(勿論例外もある)。
今回、この2つの聖地を青春18切符を使って乗り通してみた。

前回までは-->こちら

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稚内~名寄

昨日、念願の聖地乗り通しを達成した私。やればできるもんだな。改めて感慨を噛みしめる。とはいえ、まだまだ旅は終わっていない。

「家に着くまでが遠足だ」

の格言?通り、無事に帰宅するという重大な任務が残っている。

昨日、鹿との衝突という思わぬトラブルで大幅遅延を経験したので、安全策を取って今朝早めに出発することも考えた。しかしネットで調べると、今日の宗谷本線は一応通常通り運転しているらしい。これなら何とかなりそうだ。という訳で、今朝はホテルで少しノンビリすることにした。

0930頃に宿を出発。昨晩は地吹雪が吹いていた。今朝の天気はそれほどでもないが、広い場所に出るとやはり吹雪いている。町の中に入った方が風が弱まるので、海から離れて町の方に行く。そして稚内駅に到着した。

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稚内駅はそれほど大きな駅ではないが、駅構内に座る場所が沢山あって過ごしやすい。また駅に隣接した建物には映画館もあるので、ちょっとした時間つぶしができそうである。昨日は閉まっていた駅前のコンビニで、ビール、ポテチ、お握りを買う。

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稚内発1028の名寄行きはキハ54系。名寄以北では主力となっているディーゼルカーだ。昨日乗ったものと同じだが、座席配置が異なるため、昨日の車両とは違う車両らしい。乗客は数名なので、各自思い思いに席を取る。

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列車は定刻に発車。雪に煙る稚内市内を後にする。南稚内を過ぎるとサロベツ原野の景観が広がる。今の所は定刻通りの運転だが、ネットを調べると特急列車などでは遅れが出ているらしい。

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宗谷本線では重要地点となる幌延には定刻の1130頃に到着。ここで約15分の長時間停車がある。本来ならばここで稚内行き特急「宗谷」との行き違いがあるのだが、特急「宗谷」が遅れているので、ここでは行き違いを取らない。

さらに列車は南下し、1230頃に天塩中川に到着する。このあたりに来ると周囲はかなり晴れてきた。ここで遅れていた特急「宗谷」と接続を取る。

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ここまでは遅れが約10分程度と順調で、この分では予定通り旭川に行けそうだ。ところが佐久という駅に着いた所で雲行きが怪しくなった。先行して除雪作業を行っている除雪車が遅れていて、線路が開かないらしい。除雪車が音威子府駅に入るまでは佐久駅で停車しなければならないとのこと。ジリジリと時間だけが過ぎていく。遅延もどんどん増えてきて、名寄駅での接続が取れるかどうか不安になった。

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結局約40分の遅延で佐久駅を出発した。この分では名寄で接続を取ってくれるかどうか微妙な所である。接続が取れないと、旭川駅で空港行きバスに乗れるかどうかが怪しくなる。もっと急いでくれと気持ちは焦るが、そういう時に限って線路に鹿が飛び出してきて列車のスピードが出せない。まあ焦っても仕方がないので、腹を括って乗り続ける。

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音威子府には丁度40分遅れで到着。音威子府で運転手が交代。音威子府から先は比較的快調に飛ばしていく。

結局名寄には35分遅れで到着した。幸い名寄駅では次に乗車予定の快速「なよろ6号」が待っていてくれた。

名寄~旭川

快速「なよろ6号」は約10分遅れで名寄駅を発車する。新型H100系の1両編成だが、座席数が少ないので、立っている客も少なくない。私は幸い座れたが・・・。旭川には定刻よりも15分ぐらい遅れて1610頃に到着した。

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旭川~美瑛

旭川から旭川空港にはバスが出ているのだが、バスの時間まで1時間半ほど時間がある。さらに美瑛からもバスが出ていて、こちらに乗ると若干だが料金が安い。時刻表を調べると、1630発の富良野行きに乗って美瑛で降りれば、美瑛発1744の空港方面行きバスに乗れそうだ。そこで富良野線の列車に乗りこんでみた。

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30分ほどで美瑛に到着。美瑛駅前は真っ暗だった。ライトアップが美しい。

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美瑛駅~旭川空港

美瑛駅から旭川空港行きバスが出ているが、バス停が駅の反対側にあるのでわかりにくい。まあ駅の待合室にデカデカと看板が出ているので、間違える人も少ないとは思うが。最近は美瑛にも外国人が多いので、外国人が間違えないようにという配慮もあるのだろう。

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美瑛駅の出入り口を出て、左手に進み、跨線橋を渡って駅の反対側に出る。駅の反対側がバスターミナルになっていて、そこにバスが入ってくる仕組みだ。1744発のバスは、5分程遅れて1750頃に美瑛駅前に到着した。

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旭川空港~羽田空港

バスは定刻よりも少し遅れて旭川空港に到着した。空港に着ければ、後は安心だ。定刻1940発のAirDo便に乗って羽田空港に向かう。飛行機を待つ間、空港のフードコートでラーメンを食べる。旭川で結構有名な「梅光軒」のラーメンだが、これが思いの外旨かった。今度、旭川駅前の「梅光軒」でも食べてみようかな。

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1940発AirDoの羽田空港行は5分遅れで出発。羽田空港にはやはり5分遅れて到着した。これによって足掛け10日に及ぶ「青春18切符」の旅は終わった。



230103_18切符枕崎~稚内


日本の鉄道には聖地と呼ばれる場所がある。その1つが鹿児島県南西端に位置する枕崎駅。今一つが北海道最北端の稚内駅である。これらはJR線のそれぞれ南と北の終端点であり、全ての鉄路はこれらの駅と繋がっている(勿論例外もある)。
今回、この2つの聖地を青春18切符を使って乗り通してみた。

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旭川~名寄

今日は遂に稚内への最終行程である。旭川~稚内は、早朝6時過ぎに出発する列車と昼前後に出発して名寄で乗り換えるプランの2パターンがある。早めに出た方が現地到着も早いのだが、今日の所は宗谷本線の普通列車は定刻通り運転しそうだし、またホテルの朝食をパスするのも勿体ないと思ったので、昼前の出発プランとした。

少し遅く起きた朝の旭川駅。相変わらず雪が降り続いている。駅前のスタバが空いていたので、コーヒーを飲みながら約1時間時間を潰す。

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旭川駅に戻ったのは1100過ぎ。昨日から函館本線のダイヤが雪で大いに乱れている。特急列車の大幅遅延で旭川駅の特急ホームは客でごった返していた。正月のUターンラッシュと大雪が重なって旭川駅はパニック状態である。

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そんな日にワザワザ北に向かう物好きはいるのか。名寄行きの快速「なよろ1号」は新型H100系の1両編成。トイレがデカくて座席が少ないH100系なので、座る所が残っているのか少し心配ではあったが、幸い座席は十分に残っていた。

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快速列車は定刻通りに旭川駅を発車。雪に沈む旭川市街を横目に見ながら列車は宗谷本線を北に向かう。塩狩峠では雪の峠道を新型車両は苦もなく駆け抜ける。峠を抜けると平野部に出て、大雪に沈む和寒、剣淵、士別といった集落を抜けていく。終点名寄にはほぼ定刻の1250頃に到着。名寄の町も大雪に埋もれていた。

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名寄~稚内

名寄駅前の食堂が空いていたので食事をとる。駅に戻って時間を潰していると、駅構内にラッセル車が入線してきた。これはチャンス。入場券200円を買って構内に入り、ラッセル車の写真を撮る。

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名寄1459発の稚内行きはキハ54系1両編成。私にとっては今よりも若かった頃に道東や道北を旅した時に愛用していた車両だ。乗客は8名ぐらい。途中の音威子府までに半数の4名が下車した。

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音威子府で約1時間の長時間停車がある。遅れていた特急「サロベツ」にここで追い抜きを食らう。夕方から夜にかけて雪景色の中で停車するディーゼルカーは実に美しい。

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先行する特急列車が遅れているため、音威子府を30分遅れで発車。やれやれ、やっと発車したか、と思って車内でノンビリしていた。外はもう真っ暗で何も見えない。天塩中川を過ぎたあたりで列車が急停車した。どうやら鹿とぶつかったらしい。ヤレヤレ。
鹿が車体に挟み込んでしまったとかで、処置にかなり時間がかかってしまった。保安要員を呼んだりなんやらして、2時間ほどしてようやく復旧したのが2100頃。この分では一体いつ稚内に着けることやら。

発車したと思ったら束の間、次の次の雄信内駅で対向車待ちの長時間停車。一体いつになったら稚内に辿り着けるのやら・・・。考えてみたら、この列車が単線区間で立ち往生していたのだから、旭川方面に向かう上り列車も立ち往生していた訳で。ということは、この駅で退避して対向列車をやり過ごすのも仕方がないことだ。それにしても、この雄信内駅。昔風の駅舎があって興味深い。

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3時間以上遅れて雄信内駅を発車。ようやく稚内へ向けたラストランが始まる。稚内に着いたのは2300少し前。駅前はライトアップされていたが、町全体は吹雪の中で静かに佇んでいた。

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ちなみに稚内駅前にあるコンビニは23時閉店なのでギリギリで閉店した後だった。これで今日は晩飯抜きが決定した。地吹雪の吹き荒む中、まるで雪山登山を彷彿させるような状態。とにかく転倒しないように注意しながら、宿に辿り着く。
飯抜きなので腹ペコだったが、とにかく無事に旅をやり遂げたのは良かった。

つづく



230102_18切符枕崎~稚内

日本の鉄道には聖地と呼ばれる場所がある。その1つが鹿児島県南西端に位置する枕崎駅。今一つが北海道最北端の稚内駅である。これらはJR線のそれぞれ南と北の終端点であり、全ての鉄路はこれらの駅と繋がっている(勿論例外もある)。
今回、この2つの聖地を青春18切符を使って乗り通してみた。

前回までは-->こちら

帯広~追分

糠平温泉で2日間ほどノンビリした後、帯広市内に戻ってきた。帯広発1108の特急「とかち6号」に乗って旅を再開する。前回「18切符の旅」は追分まで来ていたので、一旦特急で追分に戻り、そこから旅を再開する予定だ。

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追分~札幌

当初の予定では、この追分から18切符の旅行を再開し、室蘭線経由の1405発岩見沢行きで岩見沢に向かう予定であった。しかし、この日は大雪のため室蘭線が部分運休し、当初予定していた岩見沢行きも運休となってしまう。仕方なく1337発の石勝線千歳行きに乗り、千歳で快速エアポートに乗って札幌に移動した。

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札幌~岩見沢

札幌発1437の岩見沢行きに接続できれば、当初の予定に戻れたのだが、快速エアポートが札幌駅到着直前で信号停車。そのために駅に到着が5分ほど遅延し、そのため1437発の岩見沢行きとは接続が取れなかった。まあ、仕方がないので、次の1508発の岩見沢行きに乗る。岩見沢から先は、そこで考えれば良いさ。1600前に岩見沢到着。駅前は雪に沈んでいた。

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岩見沢~滝川

ここで困った事が起こった。予定していた1703岩見沢発の旭川行き普通列車が大雪のために運休らしい。これが運休になると全部の予定が狂ってしまう。困った。ネットで調べると、どうやら当該列車は全面運休ではなく、滝川から先は運転しているらしい。JR北海道の計らいで岩見沢~滝川間は特急券なしで乗車できることになった。おかげで1655発の「カムイ29号」に乗り、滝川まで移動する。

滝川~旭川

1730頃に滝川駅到着。滝川駅も大雪のため凄い状態になっていた。

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予定していた1743発の旭川行きは、ブレーキが凍結してしまい、動けないらしい。その間、特急列車1本が先に発車していき、その後でブレーキの解凍が完了した列車が滝川駅に入線してきた。

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滝川発旭川行きの普通列車は3両編成。先のトラブルにより20分遅れで滝川駅を発車する。旭川には1850頃に到着。さすがにこの日は、北海道第2位の大都市も、大雪に沈んでいた。

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つづく



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